=アフガニスタンの今=

2003年5月16日

城西病院 看護師
荒川邦江

2002年9月、JIFFメディカルセンターが、念願のカブールにオープン。私自身の12年の思いがかなった瞬間でした。カブールの空は、紺碧のブルー。緑のない岩肌の山。ガレキと化した町並み。水のない川。電気のないアフガニスタンの首都、カブール。雨が5年も降らない、埃だらけのカブール。私の眼には、衝動的な映像ばかりが飛び込んできました。
しかし、そんな環境のなかでも、したたかに、たくましく、生きて、活動している人をみて、言葉がありませんでした。
私も戦後の生まれ、戦争の傷跡を体験した事がなく、この地に来て、始めて戦争の悲惨さを実感することができました。やはり想像以上でした。ここカブールでの活動が、これからスタートする事に、大きな感動を覚えずにはいられませんでした。

今、私は、カブールの大地に立っている。
これから、ここカブールで、どんな暮らしが待っているかと思うと、ワクワク、ドキドキものでした。1カ月間のカブールの生活は、とても、日本では、味わうことのできないスリルのある生活でした。

パキスタン政府のアフガン難民に対する施策の変化により、ペシャワールのJIFFセンターが、閉鎖に追い込まれました。
ペシャワールで出会った人達との別れは、フォダーフェース(さようなら)もいえず、悲しい別れでした。12年間、私達を支えて頂いた事に、ペシャワールのスタッフに深く感謝したいとおもいます。タシャクール(ありがとう)。

思えば、12年前、右も左も、イスラム教もわからず、よくぞこんなに長く続ける事ができたな?と、感心します。これも、アフガニスタンのスタッフをはじめ、関係者、募金の協力者、皆様のお力添えがあったおかげと、思います。
これからは、アフガニスタンの診療所へ行くだけです。パキスタンのペシャワール同様末永く、医療の届かない人々に、少しでも、手当てが出来ると良いと思います。
飽食を満喫している日本人、あふれるお湯につかれる私達、夜の生活に何の不自由も感じない電気があるのは当たり前、アメリカがこんなに近いかと錯覚するほど感度のいい電話、夜に出かけられる車の便利さ、等など。この日本から遠く離れることで、不自由を知ることで、私は、多くの事を学ぶことができました。
私にとって、これの体験は生涯の宝物です。
これらの体験から、知りえた知識を今後の社会生活に、ぜひ、活かしていけたらいいかな?と、思っています。
こんな体験をさせて頂いたことに、深く感謝いたします。ありがとうございました。